隊長 / 有川 雅人
1965年生まれ・B型

「記録」したものを「整えて」「形」にする。

レコーディングエンジニア
サウンドデザイナー

 

《 Career & Works 》

◆ サウンドデザイン (ゲーム、電子おもちゃ、携帯/スマホアプリのサウンド制作)
◆ 音楽プロデュース・ディレクション (主に、ゲームBGM/ME等)
◆ レコーディング/ミキシング (音楽CD・ドラマCD制作等)
◆ コンサート音響 (カフェライブ~500人程度のホールコンサート)
◆ 専門学校講師 (ビデオゲームに関する講義・講習)
◆ イベント企画・運営 (食と音楽の野外イベント運営委員)
◆ ウェブサイト制作 (WordPress導入~サイト制作)

 

《 Personal History 》

保育園時代に、ヤマハ音楽教室に通うも数回で飽き自主退学。

音楽よりも、ダイヤブロック(レゴブロックのようなモノ)に夢中な幼少期。

音楽に興味を持ち始めたのは、小学五年生。いとこの兄の影響でギターに目覚める。

“ジャカジャカ”とアコースティックギターをかき鳴らすことに憧れ、ギター教室に通うも、当時は「ギター教室と言えばクラシックギター」の時代。

ジャカジャカとかき鳴らすことは叶わず。

とりあえず“クラシック”ギター少年になってみるも、中学生でとん挫し、ギター熱は一旦フェードアウト。(参照:アリカワ少年とギター」)

高校入学後、音楽熱が再燃。エレキギターを弾き始めバンド活動に邁進。

ただ、残念なことに演奏能力が、それほど高くないことに、早々気づいてしまう。

変わり身の早さを活かし、自分の音楽的才能でも「音楽・音」に関われそうな、録音や音響に興味を持つも、その道には進まず、とりあえず、普通の受験生になる。

受験勉強期間中に、成り行きでコンサート音響エンジニアとしてデビュー。

それなりにオペを行うも、大トリの大学生バンドの時に事件が・・・(参照:コンサート音響デビューは『キーン』)

一浪の末、大学は教育系の学科へ進学し、小学校教諭を目指す。

卒業時、世の中はバブル景気へ突入前夜。

しかし、教育関係の就職は氷河期(採用数少なし)と言う状況。採用試験でとん挫し、塾教師の道へ。

塾講師時代に、同僚の先生に海外旅行(ハワイ等々)の極意を叩きこまれる。その極意とは「とりあえず、パスポートを持って、伊丹から飛べ。」

教えを忠実に守り「準備など要らぬ。思い立ったら吉日、即旅だ!」と、ハワイやアメリカに気ままに出かける。

その後、音楽スクール広報を経て、縁あって、京都のゲーム開発会社のサウンド部へ就職。

そこで、コンピューターミュージック(MIDI/Performer)や、デジタルレコーディング(SoundTools)、波形編集ソフト(Alchemy)を駆使し、ゲームのサウンドデザインを行う。

デビュー作は、パズルゲームとアダルティな要素を持つ麻雀ゲーム。

その約2年後、思い立って会社を辞め、サンフランシスコのレコーディング専門学校(College for Recording Arts※現在は廃校)にいく為に、またもや “伊丹から飛べ” で渡米。

そこで、70年代のブラスロックサウンドを支えたエンジニアや、メジャーリーグの息子を持つピアニストなど、様々な音楽経歴を持つ先生から、音楽制作・レコーディングの基礎を学び帰国。

卒業時、先生から推薦状をもらう。

そこには、私の長所は「シグナルフローの理解が早い」と書かれていた。(参照:埋もれゆく才能

帰国後、レコーディングスタジオへの就職を志すも、箸にも棒にも掛からず、ゲーム業界に舞い戻り、家庭用/携帯ゲーム機ソフトや、電子おもちゃの開発に携わる。

開発業務は効果音や音声収録が主だが、BGMやMEの制作にも口を挟み始め、自分では作曲などこれっぽっちも出来ないのに、偉そうに制作指示(プロデュース/ディレクション)もこなすようになる。(BGM発注の極意に関する記事はこちら)

ゲーム開発に勤しんでいる間に、陶芸工房をリフォームして、趣味のレコーディングスタジオを作る。

2010年、延べ約十数年勤務したゲーム業界から離脱。

趣味のスタジオは『studio untrap』と名前を変えて2011年11月より始動し、今に至る。